複雑なものは、時として人を虜にする。
人は、複雑なものを目の前にすると、それを征服することそのものに
魅せられてしまうことが、ある。
特に、コンピュータの絡む話だと、いろいろな技を組み合わせて、
こんなこともできる、あんなこともできる、どうだ、まいったか!
みたいなことに、つい陥りがちになる。
でも、物事は、可能な限り単純なままにしておくのが一番いいのだ。
もちろん、それは生の素材を生のまま食うのが一番だと言っているわけではない。
何をシンプルと感じるかは、人それぞれの感性に依存する。良い感性を
持ちつづけることは、プロとして必要な素質のひとつでもある。
eπi=-1 という式を複雑すぎると感じる人も多かろうが、
これを単純で美しいと感じる感性は数学者にとって必要なものだ。
どちらがよいかという問題ではなくて、必然の要求として
分散させなくてはいけないのだ。でも、何を? どうやって?
...集中に対立する概念は分散なのだけれど、求められているのは、分散でなく
分離なのかもしれない。
当然といえば、当然のことなのだが、見られて困るデータは 見える位置には置かない。
問題は、中間責任者となるべき層が、「何の専門家でもない、ただの素人だ」 というところ。
もちろん、手取り足取りなんて、やっていられるはずはない。
費用のことは、あまり心配していない。
必要なものなら、「願えば与えられる」(ヨハネ 16:24)。